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戯曲の一等最初のト書きが好きである。自分で書くときも一等最初のト書きには精魂を尽くす。それだけ劇世界の出だしは重要であり、これから始まる物語の全てが詰まっていると言っても過言ではない。
演劇生活も30余年になり、読んだ戯曲、演出した戯曲、そして自分が書いた戯曲は優に1000本は越えている。その多くの戯曲の中から毎回1本を取り上げ、ト書きから見える、見えた、見ようとした、未だ見えない様々な風景を書き継いでいく。
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第八篇 清水邦夫「ぼくらが非情の大河をくだる時」新宿薔薇戦争('72年)
深夜。
都内の孤独な公衆便所。
背後の通りを時々走り去る車のヘッドライトの光が、夜の闇の中に便所を仄白く浮き上がらせる。
そこは男たちが男たちを求めて集まるというなまめかしい噂が流れている場所でもある。

いきなり一人の男が走ってくる。
脇目もふらず便所に飛び込み、身震いしながら放尿。
と、また一人の和服の女が小走りにやってきて男便所へとび込む。
おどろく放尿中の男。
だが女(実はお願いがあるのですがオカマ)少しも騒がず、男の脇に立つと着物の前をガバッとひろげて放尿をはじめる。
女の視線、男の顔から局部へと絶え間ない愁波を送る。
男、必死に視線をはずし、チャックもそこそこに去る。
女、がっかりした風情で、カツラをとって頭に風を入れながら去る。
無人の便所。
ヘッドライトの光。
少年が一人、かけ込んでくる。
不意にきんかくしに頭を突っ込んだかと思うと、激しく号泣しはじめる。
夜の闇に響く少年の号泣……、と、前の棚の上に誰かが置き忘れたらしい紅い薔薇の花束があるのに気づく。
それをとり上げ、軽くキスすると、急にケラケラ独り笑いして、ふざけたように花弁をちぎって便所のあちこちに撒き散らす。花がなくなってしまうと、ポイと花束を投げ捨て、ポケットに手を突っ込んで去ってしまう。
再び無人の便所。
どこかで、ギターの音が聞こえ出す。
詩人(実は弟)が現れる。
スコップを背負ってる。
便所に入らず、便所の外部をまるで巨大な彫刻を愛撫するかのようにねめまわす。

詩人 なんて予感に充ち充ちた便所なんだ。このさりげないたたざうまい、かすかにただようなつかしい臭気、それでいて傲慢なまでの自己主張、そして日々あくこともなくくりかえす大衆との対話……いやいや詩人と時代のむすびつきとは、時代の反映者たることではない。詩人の役割とは時代の見えない部分と結びつくことだ。真の時代を発見することだといってもいい。え、文句あるか!夜は偽れる盛装をする。街もしかり。便所もしかり。彼の詩人はいった、満開の桜の木の下には一ぱいの死体が埋まっている。そしてまたまた、かの詩人がいった、夜の公衆便所の下には一ぱいの死体が埋まっている……

 今回は最初の台詞まで取り上げた。この台詞を含め大いなる予兆がみなぎっている。それほどに力強いプロローグである。
 清水邦夫はこの当時、演出家蜷川幸雄と組んで多くの傑作をものしている。この「ぼくらが…」は「鴉よ、おれたちは弾丸をこめる」('71年)「泣かないのか?泣かないのか1973年のために?」('73年)とともに新宿三部作と言われ、全ての作品は新宿アートシアターという映画館で上演された。
 この作品が入った戯曲集の後記で清水は戯曲以上に全ての事を書いている。この後記を読めば戯曲を読まなくてもいいくらいである。しかし、今となってはこの戯曲集を手に入れるのは困難と思えるので少し長くなるが引用してみる。

 『ここに収録された作品は、すべて<新宿>という街で上演してきたものである。(中略)この小屋(註・新宿アートシアター)とぼく及びぼくの戯曲を上演する仲間との出会いは甚だ運命的であった。戦後ニュース映画館として発足したこの小屋は、街路からすぐ飛び込める公衆便所のような気易い関係を「街」との間に持っていた。事実、入ってくる客は、気まぐれに飛び込んでくる通行人が多かった。しかもその通行人は客席に座っても「芝居の観客」に変化せず、通行人のままそこに乱入している観があった。それはぼくらにとって、ひどく不安ではあったが、一方その気まぐれな視線を食い止める作業に新鮮な緊張感を覚えた。(中略)彼らは演劇そのものが<事件>であることを期待し、抑圧されつつある獣性の解放をそこに求めた。彼らは舞台を見ながら舞台を突き抜けて背後の<街>を見ていた。そこに存在しうる言語は、宝石のようにきらびやかにカットされたものははじき飛ばされ、泥まみれのラグビーボウルのように舞台と客席との間に素早く荒々しくパスされるものでなければならなかった。しかし街から通行人の姿が一人二人と消えはじめた。人が氾濫していても通行人の姿はそこにない。街が完全に獣性を消失したから通行人は自らの獣性を放棄して潰走したのか。』

 これは芝居を変革の装置として夢見た作家の苦い敗北宣言とも取れる。荒々しい時代に芝居を始めた者でしかわからないことがこの文章の中に全て込められている。私の先行世代の芝居は稽古の合間にデモに行き、デモから帰ってきては稽古をするというような生活だったという。ま、そうではない演劇もあったわけで、そういう生真面目演劇の方々にはアングラ・小劇場演劇なんて児戯に過ぎないと、この時代には思われていた。独りの革命闘士、ノンセクト・ラジカル、黒ヘル、アナーキズム、偽善的な連帯を拒む人々によって劇集団が組まれていたから自ずと集団の論理は無いと言った方がいいかもしれない。演劇論=革命論の時代に俳優をいかに作るかとか、演技論であるとか、戯曲の書き方を勉強したいとか、上手い役者になるんだとかそういう論理で誰も動いていなかった。通行人が芝居の観客にならなかったように、芝居に携わる者達も演劇人にならなかった。「俺は芝居が好きだからやっている」なんて声を上げる奴は誰もいなかったし、そんなこと口が裂けても言えない気恥ずかしさがあった。そんな時代の渦の中で清水邦夫の質は作家であったし、盟友・蜷川幸雄も演出家体質であった。だから現在まで彼らは演劇人として生き長らえている。
 
 この戯曲が書かれてから35年断ち、時代は大きく変わってしまった。混沌のエネルギーに充ち満ちていたアングラ・小劇場演劇も街と人とを巻き込むパワーを失い、人の精神性へ深く分け入る迷宮巡りの舟と化してしまった。そして、アングラ演劇は集団の実験でもあった。集団があって個があるのではなく、個があるから集団になるという論理の実験を壮大にやっていた。私もいかんなくその波をかぶって現在に至る。
 清水は「ぼくは今でも非情の大河をくだっている」と思っているだろうか?

 「ぼくらが非情の大河をくだる時」新潮社は現在絶版。古書店にはあるかもしれない。

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