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    <title>ト書きの風景</title>
    <link>http://togaki.oct-pass.com/</link>
    <description>&lt;br /&gt;
戯曲の一等最初のト書きが好きである。自分で書くときも一等最初のト書きには精魂を尽くす。それだけ劇世界の出だしは重要であり、これから始まる物語の全てが詰まっていると言っても過言ではない。&lt;br /&gt;
演劇生活も３０余年になり、読んだ戯曲、演出した戯曲、そして自分が書いた戯曲は優に１０００本は越えている。その多くの戯曲の中から毎回１本を取り上げ、ト書きから見える、見えた、見ようとした、未だ見えない様々な風景を書き継いでいく。</description>
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    <title>第八篇	清水邦夫「ぼくらが非情の大河をくだる時」新宿薔薇戦争（'７２年）</title>
    <description>深夜。
都内の孤独な公衆便所。
背後の通りを時々走り去る車のヘッドライトの光が、夜の闇の中に便所を仄白く浮き上がらせる。
そこは男たちが男たちを求めて集まるというなまめかしい噂が流れている場所でもある。

いきなり一人の男が走ってくる。
脇目もふらず便所に飛び込み...</description>
<content:encoded><![CDATA[
深夜。<br />
都内の孤独な公衆便所。<br />
背後の通りを時々走り去る車のヘッドライトの光が、夜の闇の中に便所を仄白く浮き上がらせる。<br />
そこは男たちが男たちを求めて集まるというなまめかしい噂が流れている場所でもある。<br />
<br />
いきなり一人の男が走ってくる。<br />
脇目もふらず便所に飛び込み、身震いしながら放尿。<br />
と、また一人の和服の女が小走りにやってきて男便所へとび込む。<br />
おどろく放尿中の男。<br />
だが女（実はお願いがあるのですがオカマ）少しも騒がず、男の脇に立つと着物の前をガバッとひろげて放尿をはじめる。<br />
女の視線、男の顔から局部へと絶え間ない愁波を送る。<br />
男、必死に視線をはずし、チャックもそこそこに去る。<br />
女、がっかりした風情で、カツラをとって頭に風を入れながら去る。<br />
無人の便所。<br />
ヘッドライトの光。<br />
少年が一人、かけ込んでくる。<br />
不意にきんかくしに頭を突っ込んだかと思うと、激しく号泣しはじめる。<br />
夜の闇に響く少年の号泣……、と、前の棚の上に誰かが置き忘れたらしい紅い薔薇の花束があるのに気づく。<br />
それをとり上げ、軽くキスすると、急にケラケラ独り笑いして、ふざけたように花弁をちぎって便所のあちこちに撒き散らす。花がなくなってしまうと、ポイと花束を投げ捨て、ポケットに手を突っ込んで去ってしまう。<br />
再び無人の便所。<br />
どこかで、ギターの音が聞こえ出す。<br />
詩人（実は弟）が現れる。<br />
スコップを背負ってる。<br />
便所に入らず、便所の外部をまるで巨大な彫刻を愛撫するかのようにねめまわす。<br />
<br />
詩人　なんて予感に充ち充ちた便所なんだ。このさりげないたたざうまい、かすかにただようなつかしい臭気、それでいて傲慢なまでの自己主張、そして日々あくこともなくくりかえす大衆との対話……いやいや詩人と時代のむすびつきとは、時代の反映者たることではない。詩人の役割とは時代の見えない部分と結びつくことだ。真の時代を発見することだといってもいい。え、文句あるか！夜は偽れる盛装をする。街もしかり。便所もしかり。彼の詩人はいった、満開の桜の木の下には一ぱいの死体が埋まっている。そしてまたまた、かの詩人がいった、夜の公衆便所の下には一ぱいの死体が埋まっている……<br />
<br />
　今回は最初の台詞まで取り上げた。この台詞を含め大いなる予兆がみなぎっている。それほどに力強いプロローグである。<br />
　清水邦夫はこの当時、演出家蜷川幸雄と組んで多くの傑作をものしている。この「ぼくらが…」は「鴉よ、おれたちは弾丸をこめる」（'７１年）「泣かないのか？泣かないのか１９７３年のために？」（'７３年）とともに新宿三部作と言われ、全ての作品は新宿アートシアターという映画館で上演された。<br />
　この作品が入った戯曲集の後記で清水は戯曲以上に全ての事を書いている。この後記を読めば戯曲を読まなくてもいいくらいである。しかし、今となってはこの戯曲集を手に入れるのは困難と思えるので少し長くなるが引用してみる。<br />
<br />
　『ここに収録された作品は、すべて＜新宿＞という街で上演してきたものである。（中略）この小屋（註・新宿アートシアター）とぼく及びぼくの戯曲を上演する仲間との出会いは甚だ運命的であった。戦後ニュース映画館として発足したこの小屋は、街路からすぐ飛び込める公衆便所のような気易い関係を「街」との間に持っていた。事実、入ってくる客は、気まぐれに飛び込んでくる通行人が多かった。しかもその通行人は客席に座っても「芝居の観客」に変化せず、通行人のままそこに乱入している観があった。それはぼくらにとって、ひどく不安ではあったが、一方その気まぐれな視線を食い止める作業に新鮮な緊張感を覚えた。（中略）彼らは演劇そのものが＜事件＞であることを期待し、抑圧されつつある獣性の解放をそこに求めた。彼らは舞台を見ながら舞台を突き抜けて背後の＜街＞を見ていた。そこに存在しうる言語は、宝石のようにきらびやかにカットされたものははじき飛ばされ、泥まみれのラグビーボウルのように舞台と客席との間に素早く荒々しくパスされるものでなければならなかった。しかし街から通行人の姿が一人二人と消えはじめた。人が氾濫していても通行人の姿はそこにない。街が完全に獣性を消失したから通行人は自らの獣性を放棄して潰走したのか。』<br />
<br />
　これは芝居を変革の装置として夢見た作家の苦い敗北宣言とも取れる。荒々しい時代に芝居を始めた者でしかわからないことがこの文章の中に全て込められている。私の先行世代の芝居は稽古の合間にデモに行き、デモから帰ってきては稽古をするというような生活だったという。ま、そうではない演劇もあったわけで、そういう生真面目演劇の方々にはアングラ・小劇場演劇なんて児戯に過ぎないと、この時代には思われていた。独りの革命闘士、ノンセクト・ラジカル、黒ヘル、アナーキズム、偽善的な連帯を拒む人々によって劇集団が組まれていたから自ずと集団の論理は無いと言った方がいいかもしれない。演劇論＝革命論の時代に俳優をいかに作るかとか、演技論であるとか、戯曲の書き方を勉強したいとか、上手い役者になるんだとかそういう論理で誰も動いていなかった。通行人が芝居の観客にならなかったように、芝居に携わる者達も演劇人にならなかった。「俺は芝居が好きだからやっている」なんて声を上げる奴は誰もいなかったし、そんなこと口が裂けても言えない気恥ずかしさがあった。そんな時代の渦の中で清水邦夫の質は作家であったし、盟友・蜷川幸雄も演出家体質であった。だから現在まで彼らは演劇人として生き長らえている。<br />
　<br />
　この戯曲が書かれてから３５年断ち、時代は大きく変わってしまった。混沌のエネルギーに充ち満ちていたアングラ・小劇場演劇も街と人とを巻き込むパワーを失い、人の精神性へ深く分け入る迷宮巡りの舟と化してしまった。そして、アングラ演劇は集団の実験でもあった。集団があって個があるのではなく、個があるから集団になるという論理の実験を壮大にやっていた。私もいかんなくその波をかぶって現在に至る。<br />
　清水は「ぼくは今でも非情の大河をくだっている」と思っているだろうか？<br />
<br />
　「ぼくらが非情の大河をくだる時」新潮社は現在絶版。古書店にはあるかもしれない。<br />
<br />
<img src="images/P3100019.jpg" width="300" height="225" alt="" class="pict" />
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    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2007-03-10T15:25:02+09:00</dc:date>
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  <item rdf:about="http://togaki.oct-pass.com/?eid=573192">
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    <title>第七篇	安部公房　黒い喜劇「友達」（'６７年）</title>
    <description>甘い誘惑的なメロディで幕が開く。
　　夜の都会は
　　糸がちぎれた首飾り
　　あちらこちらに
　　とび散って
　　あたためてくれたあの胸は
　　どこへ行ってしまった
　　迷いっ子　迷いっ子
舞台には、中央でV字型に合わさった、衝立風の二枚の大きな壁。その上に、音楽のリ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
甘い誘惑的なメロディで幕が開く。<br />
　　夜の都会は<br />
　　糸がちぎれた首飾り<br />
　　あちらこちらに<br />
　　とび散って<br />
　　あたためてくれたあの胸は<br />
　　どこへ行ってしまった<br />
　　迷いっ子　迷いっ子<br />
舞台には、中央でV字型に合わさった、衝立風の二枚の大きな壁。その上に、音楽のリズムに合わせて、左右から四人ずつの人影が現れ、次第に大きくなり、ついに客席にのしかかる巨人のようになる。<br />
歌が終わると同時に、両袖からそれぞれ、影の主たちが姿を現わす。計八人の、きわめて平均的なくせに、どことなく怪しげな家族たちだ。誰もがまだ無表情な、機械的な動作であること。その中から、次女が一人、中央に進み出る。メロディだけは、続いていたほうがよい。<br />
<br />
　前回のアラバール「戦場のピクニック」に続いてまた不条理劇である。個人的な指向がもろに反映されるこの連載だが、この戯曲のことを書いてくれと言うオーダーで戯曲を選択しているわけではないので、この偏向はお許しいただきたい。<br />
おまけに創作年も「戦場の…」と同じ１９６７年。この年にどんな戯曲が書かれたのか調べてみた。<br />
　新劇全盛なのだが、アングラの萌芽がある。寺山修司「アダムとイブ　わが犯罪学」「青森県のせむし男」「大山デブ子の犯罪」「毛皮のマリー」、唐十郎「アリババ」「ジョン・シルバー　新宿恋しや夜鳴篇」、内田栄一「流れ者の美学」「ゴキブリの作り方」、佐藤信「あたしのビートルズ」、別役実「カンガルー」など。寺山修司が天井桟敷を旗揚げし、精力的に戯曲執筆を開始した時期に当たる。<br />
　そんな時代に書かれた「友達」は上記のアングラ芝居の戯曲より先鋭的かもしれない。８人の家族が（本当の家族なのかは不分明）都会で孤独な暮らしを送っている人を捜しては友情を届けることを使命としている。背景には大家族が終焉し、核家族時代の幕開けがあると思う。誤読をすれば大家族（農村文化）の核家族（都市文化）への攻撃ともとれる。<br />
　テーマソングがふざけている。勿論わざとらしさと偽善に包まれた歌で、ムード歌謡コーラスである。サム・テーラー風な通俗的で下品なサックスの音が聞こえるようだ。また、この歌詞の「糸がちぎれた首飾り　あちらこちらに　とび散って」というフレーズと８人家族という設定から「南総里見八犬伝」を想起することも可能だろう。どこかでバラバラになってしまった人々が家族というカテゴリーを基に強力な紐帯を組み上げてしまった。その紐帯の証明は友情の押し売りに現れる。　<br />
　「きわめて平均的なくせに、どことなく怪しげな家族たち」このト書きに指定される人物設定は難しい。平均的でどことなく怪しいというのが一番難物である。平均的とか普通の、というのはどういうことなのか？芝居は平均と普通を描くのが一番苦手なのだ。役者に聞いてみるのが手っ取り早い。リアリズム演劇とか、平田オリザ達が始めた静かな演劇というジャンルに平均的で普通の人々が登場するだろうか？否である。リアリズム演劇の内面描写と言われるものの嘘くささはどうだろう。リアリズム演劇＝ド新劇は過剰な感情表現しかできない人々の群れである。そして静かな演劇は平均や普通を批評している。だから上演される舞台は平均でも普通でもない。計算尽くされた平均と普通が描写されている。だから「友達」を演じる俳優は極めて難しい役作りをしなければならないだろう。初演は「青年座」だから新劇的にやられたのであろう。とすると役者のオーバーな演技が鼻をついたかもしれない。想像ですが。<br />
　この家族は一人住まいの青年のアパートの一室に侵入、すんなりと住みついてしまうが、通報を受けた警官も大家もそれを不思議に思わないというのが、この芝居の第一関門で、ここが突破されればあとは家族のやりたい放題になっていく。ついには悲劇的なことになってしまうのだが。<br />
　現在、この手のことが公になり事件になった例は暇がない。「友達」の書かれた６０年代から世間はこの手の事件を面白がってきたが、その裏には都会という底なしの沼が存在している。沼にはまってしまった自分たち自身を照射する事件が自分たちを覚醒させる。が、それも一時。気づいてみれば自分の心にもうひとつ沼が出来ている。そしてその沼は都会のそれより、もっと底なしの沼だったりする。８人の家族はその自分の沼から這い上がってきた自分そのものなのだ。<br />
<br />
　私は「友達」を２０００年に仙台市主催「演劇ビギナーズ・ワークショップ」試演会で演出している。全２幕１３場のうち１幕１場から６場までを構成したもので人数の関係からダブルキャストを組んだ登場人物もある。受講生１４名中<br />
今でも芝居の世界にいるのは１名だと思う。でも、高校生、大学生が多かったから現在どこかでやっているかも知れないが。<br />
<br />
　安部公房「友達」は「棒になった男」「榎本武揚」併載で新潮文庫から出ている。ただこれは改訂版らしい。今回のト書きの底本は「現代日本戯曲大系」第７巻からのものである。<br />
<br />
<img src="images/P2220005.jpg" width="300" height="225" alt="" class="pict" />
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2007-02-22T14:21:43+09:00</dc:date>
    <dc:creator>newton</dc:creator>
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    <title>第六篇　フェルナンド・アラバール　「戦場のピクニック」（｀６７年）</title>
    <description>戦場。
舞台には張りめぐらされた鉄条網、砂嚢の山。
戦闘は、今やたけなわである。爆弾の炸裂音、ライフルの銃声、機関銃の火を吹く音。
舞台上には、腹這いになった兵士ザボが只一人、砂嚢の間で震えている。
やがて戦闘は中止される。静寂……。
ザボは起き上がり、傍らの裁...</description>
<content:encoded><![CDATA[
戦場。<br />
舞台には張りめぐらされた鉄条網、砂嚢の山。<br />
戦闘は、今やたけなわである。爆弾の炸裂音、ライフルの銃声、機関銃の火を吹く音。<br />
舞台上には、腹這いになった兵士ザボが只一人、砂嚢の間で震えている。<br />
やがて戦闘は中止される。静寂……。<br />
ザボは起き上がり、傍らの裁縫箱の中から毛糸の玉と編針をとり出し、セーターを編み始める。<br />
突如無線電話が鳴る。　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　  （若林彰　訳）<br />
<br />
　この戯曲の導入部ト書きにシュールレアリスム言語でいうデペイズマン手法がとられている。この手法は不条理演劇、コントなど、いわばリアリズムでは捉えられない世界を描写するときに用いられる。シュールレアリズムのアイテムだから当たり前と言えば当たり前だが。<br />
　ロートレアモンの詩集『マルドロールの歌』に謎に満ちた麗しきフレーズが出てくる。「手術台の上のミシンと蝙蝠傘の出会いのように美しい」。このフレーズをシュールレアリスムの創始者・アンドレ・ブルトンが取り上げ、デペイズマンと名付けた。<br />
　異なるものと異なるものが出会ったときに起こる化学反応とでもいうのか、あるべき所にあるべき物が無く、別な物が存在している時の人間の驚き。ずらし、換骨奪胎、フェイント等々。世界の秩序を紊乱・混乱・惑乱・再構築を要請するコペルニクス的展開用語。このフレーズから芸術諸相は大きな後ろ盾をもらったようなものである。幻覚も幻聴も、妄想も幻想も、酒でだろうが・薬でだろうが芸術家の精神内部の世界とのずれが容認されることになった。芸術家の中には天才と狂人紙一重というパーソナリティがごまんといる。どちらのパーソナリティにしても取りあえず彼らの存在のベースがデペイズマンによって確立したと言ってもいいかもしれない。これは日本のアンダーグラウンド演劇以降の劇作家達にも大きな影響を与えたと思う。かくいう私もその一人だが。<br />
　<br />
　戦闘たけなわの戦場で主人公がセーターを編み始めるという行為。この後、主人公ザボの両親がこの激烈な戦闘を繰り返す前線にピクニックにやってくる。これがデペイズマンである。普通ならこんなことはありえないだろうというのがデペイズマンである。<br />
　しかし、どうだろうか？現在の世の中、ありえないだろう！！ということの連続である。毎日のニュースには必ずそんな事件やら人間模様が登場する。ドラマは現実に追い越されて久しい。<br />
　一体私たちの演劇はいつ現実に追い抜かれてしまったのだろう？それは多分、１９７０年の三島由紀夫自衛隊乱入・割腹事件である。現役の劇作家・小説家が自己の芸術の最高形態を思案した結果、その後誰も到達できない至高の地点に登り詰めてしまった。まったく洒落にならないよ三島さん。<br />
　だから上記の戦場でのセーター編みも驚きではなく、「あるある」になってしまいそうなのだ。虚構が現実に飲み込まれる、現実が虚構化する。現実がヴァーチャル化した世界で不条理演劇は成立するのか？デペイズマンも危機に瀕している。新しい概念の不条理演劇の提示が迫られている。<br />
<br />
　先日、仙台にイラクのムスタヒール・アリスというユニットがやって来て公演を行った。（「劇作日記　時々好調」参照）戦争状態の国から家族を置いてやってくるという、その心根が不可思議だ。これこそ不条理かもしれない。これから家族が平和に一生暮らしていけますよと言うご褒美があるわけでもない。かつ、自分たちもイラクに帰ってコンスタントな演劇活動が約束されていることでもない。そして連日家族から、あるいは自分から今日は何もなかった？と国際電話が入るという。ここまでして日本に来る理由。逆の対場を考えてみると自分は国外公演をやるだろうか？<br />
　なんなんだろう？なにか腑に落ちないところがある。勇気、芸術家の鑑、芸術は国境を越えると自分でも思ったし、書いた。しかし…わからない。砂漠の民の人間性が投射されているのだろうか？<br />
　人間は最低の状態になっても演劇を欲するのだろうか？そしてやる側も演劇を提供できるのだろうか？ではイラクのユニットはまだ最低状態にまで落ちてないって事なのか？<br />
　ムスタヒール・アリスの指導者、ドクター・アルカサーブ氏は戦争状態の中でも演劇を作り続ける原動力は「愛と友情と平和」だと語った。教科書的言辞だ。なにかある。もっと違う自分たちが鼓舞される何かがあるはずだ。それを思索し劇作してみようか。それが彼らへの返歌になるように。<br />
<br />
　もう４０年も前の戯曲だが、今でも、いや今だからこそ、この世の不条理を考えるためには格好のテキストだと思う。<br />
<br />
　'０４年にアラバールの「ファンドとリス」「祈り」を再構成して『砂の覚醒』という芝居を上演した。本当は『戦場のピクニック』をやりたかったのだが、役者の人数など条件が合わなくて断念した。アラバールはどんな戯曲を読んでも砂漠をイメージさせる。だから『砂の覚醒』というタイトルにし、劇場に２トンの砂を入れた。２トンでは足りなかったが。<br />
<br />
　「戦場のピクニック」は現代思潮社アラバール戯曲集第１巻。だが、現在絶版。古本屋では５０００円という値段が付いているところもある。<br />
<br />
<img src="images/P1290002.jpg" width="200" height="266" alt="" class="pict" />
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2007-02-03T01:03:05+09:00</dc:date>
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    <link>http://togaki.oct-pass.com/?eid=549022</link>
    <title>第五篇　佐藤信「阿部定の犬」（'７４年）</title>
    <description>＜序＞
舞台前面に敷布の幕が引かれている。その前に腕木にブリキの三日月を吊り下げた電信柱が一本。
ト、ひとりの男が居る。どぶ鼠いろのレインコートにソフト帽。眼ばかり血走らせた百歳の老人。首っ玉に旧式の携帯写真機をぶら下げている。街頭写真師である。
＜第一章＞
...</description>
<content:encoded><![CDATA[
＜序＞<br />
舞台前面に敷布の幕が引かれている。その前に腕木にブリキの三日月を吊り下げた電信柱が一本。<br />
ト、ひとりの男が居る。どぶ鼠いろのレインコートにソフト帽。眼ばかり血走らせた百歳の老人。首っ玉に旧式の携帯写真機をぶら下げている。街頭写真師である。<br />
＜第一章＞<br />
幻燈の文字。<br />
「戒厳令」<br />
「施行中であったにもかかわらず」<br />
「帝都では、女たちがつぎからつぎへと妊娠していた」<br />
<br />
　喜劇昭和の世界三部作＝「阿部定の犬」「キネマと怪人」「ブランキ殺し上海の春」の第一作である。<br />
　見果てぬ革命幻想を様々な意匠にくるみ、まとわせ、書き継いでいた当時の佐藤信と黒テントは、唐十郎と紅テントとともに時代の寵児だった。唐/紅が粘っこい体質で、肉体派＝右翼的だとすれば、佐藤/黒は頭脳派＝左翼的だった。<br />
そんな当時の代表作が今回取り上げた「阿部定の犬」である。<br />
　この戯曲で佐藤は遂に天皇を死去させた。本当に天皇が死ぬ１５年前のことだ。しかし、その仮構の死は苦渋に満ちている。何故なら革命、クーデターによらぬ自然死だからだ。だからこの戯曲には寂寞感が漂っている。<br />
<br />
　今回、＜序＞と＜第一章＞のト書きを引用した。佐藤信と黒テントの方法論がわかるからだ。それは＜第一章＞のト書きに現れている。黒テントはスライド映像を多用した。ベルトルト・ブレヒトが編み出した「異化効果」を援用した演劇論は、自ずと黒テントを移動テント劇場へ向かわせ、テント劇場に適応する演出方法が出来上がった。その代表的なものが映像である。普通なら役者に語らせるエピソードが映像ならほんの数分で終わる。その分舞台にはテンポとリズムが生まれスピーディーになる。センスがいいのだ。黒テントはとにかくカッコ良かった。<br />
　舞台装置も簡素だが凝っている。「腕木にブリキの三日月を吊り下げた電信柱が一本」。これだけのト書きから様々なことが想起される。別役実の電信柱とは違うシュールな事が想像される。電信柱にブリキ製の三日月がぶら下がっているのだ。なにか異様な事が始まる前兆をこのト書きは活写している。<br />
<br />
　阿部定は１９３６年（昭和１１年）に男性器をチョン切ったという猟奇事件の犯人である。当時軍国主義が台頭し、我が世の春だったが、庶民にとっては息苦しい時代だった。人々はこの猟奇事件に陰で喝采を送ったという。戯曲は昭和１１年、架空の町「東京市日本晴れ区安全剃刀町オペラ通り一丁目一番地」が舞台である。<br />
　エロスの象徴としての阿部定がタナトスの象徴としての天皇制軍事国家を射程する構造を持った戯曲は、しかし、前述したように朝ぼらけのような間の抜けた寂寞だけが残る作品となった。唯一敵のお株を奪ったのは自然死であっても天皇を死なせたことだろうか。<br />
<br />
　黒テントは当時全国公演を行っていた。オルグと称して色んな役者、スタッフが全国を回って活動分子を作っていた。この活動に関しては様々な意見があり、今でも黒テントを嫌っている人々はこの活動への懐疑だと思う。かくいう私もそんな黒テントの方法には違和感を覚えたこともあった。が、この「阿部定の犬」仙台公演は活動分子として駆け回った。斎藤晴彦さんとともに居酒屋、喫茶店、政治活動拠点、たまり場など、色んな所へ挨拶とチラシ置きに奔走した日々が今も鮮明に思い出される。斎藤さんとは会う機会もあまりないが、たまにお会いしたときの決まり文句は「相変わらずお元気そうで。」斎藤さんはもう６０歳をとうに越えているが様々な舞台で活躍中。生前の渥美清は斎藤さんのファンだったらしく、「男はつらいよ」に斎藤さんをオファーしていた。戯曲の話なのに役者のことになってしまった。<br />
<br />
　佐藤信と唐十郎は同じ児童劇団の同期である。赤と黒でアングラ・テント演劇を領導した二人が児童劇団でもライバル同士だったというのは因果噺めいている。<br />
<br />
　「阿部定の犬」は晶文社から出版されたが現在絶版。古本屋か図書館にはあるかもしれない。<br />
<br />
<img src="images/P1150002.jpg" width="200" height="266" alt="" class="pict" /><br />
<img src="images/P1150003.jpg" width="200" height="266" alt="" class="pict" /><br />
<img src="images/P1150004.jpg" width="200" height="150" alt="" class="pict" /><br />
<br />

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    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2007-01-14T09:42:55+09:00</dc:date>
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    <title>休載のお知らせ。</title>
    <description>１２月３１日（日）と新年１月７日（日）を休載し、１月１４日（日）から再開いたします。</description>
<content:encoded><![CDATA[
１２月３１日（日）と新年１月７日（日）を休載し、１月１４日（日）から再開いたします。
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2006-12-29T13:50:15+09:00</dc:date>
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    <title>第四篇　竹内銃一郎「あの大鴉、さえも」（’８０年）</title>
    <description>頭のてっぺんから突き抜けるような声で少女が唄う、涙ぐましいほどに無邪気な童謡が聞こえるー。突然、ガシャーンと大音響。ガラスの割れた音だろうか、音楽はブツリと絶たれて、しばらくの静寂。明るくなると、目の前には、見られることを拒絶するような白壁の塀が続いて...</description>
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頭のてっぺんから突き抜けるような声で少女が唄う、涙ぐましいほどに無邪気な童謡が聞こえるー。突然、ガシャーンと大音響。ガラスの割れた音だろうか、音楽はブツリと絶たれて、しばらくの静寂。明るくなると、目の前には、見られることを拒絶するような白壁の塀が続いていて、そのほぼ中央にくぐり戸があり、そこには、≪三条家勝手口御用の方は此処からどうぞ≫と書いたプレートが貼ってある。また、くぐり戸を中心にして左右対称の位置からはいかにも暴力的な感じで水道の蛇口が突き出しており、それぞれの下にバケツ或いは洗面器が置いてある。ポタリ、ポタリと、左右の蛇口から水が滴り始めると、あたかもそれに促されたかのように、一枚の透明な大ガラスを運ぶ三人の男、独身者１，２，３が現われる。彼等がまるで苦行を科せられているかのように、いかにも重そうに振るまっているのは、勿論、冗談ではない。見えないものは事実相当に重いのである。<br />
<br />
　竹内銃一郎はいわゆるアングラ第二世代の劇作家・演出家である。私にとって兄貴のような世代にあたる。兄貴のような年齢差とは三歳から七歳までというのが私のとらえ方だ。竹内は私の六歳上に当たる。だから‘４７年生まれである。<br />
　兄貴達、山崎哲（‘４６年生まれ）、流山児祥（’４７年生まれ）、生田萬（‘４９年生まれ）、翠羅臼（’４７年生まれ）、武田一度（‘５０年生まれ）、戸波山文明（’４７年生まれ）らは先行世代の巨匠たちへの追従と反旗というアンビバレンツのなかで自分たちの理論を構築してきた。そして全共闘世代のコアでもある。基本は、すべてぶっ壊せである。しかし、先行世代の作ったものは想像を絶するほどの巨塔でもあった。唐十郎のテント、寺山修司の実験、鈴木忠志の理論、蜷川幸雄の苦肉の商業演劇への挑戦など、日本演劇界のコペルニクス的転回は全て先行第一世代がやってしまった。先行世代がぶっ壊してしまったのだ。<br />
　当初、竹内は全共闘運動の挫折と何故演劇などという政治的コンテキストから大きくはぐれてしまったところに身を置いてしまった自分を、韜晦たっぷりに自虐的な戯曲を書いていた。代表作は「檸檬」（‘７８年）ということになるが、そんな自虐私観から脱した戯曲がこの「大鴉」ではなかったろうか。<br />
<br />
　この戯曲はマルセル・デュシャンの『大ガラス』（正式の題名は『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』をモチーフにしているとは作者の解説。竹内は引用の達人である。どんな戯曲にもほとんど「誰それのなんとかという著作の一部を形を変えて引用しました。」ということわりが入る。<br />
　登場人物は３人のむくつけき独身者である。３人はバイトなのだろう不可視の大きなガラスを三条さんという家に配達にやってくるが、その三条さんの家はすぐそばにあるのにどこからも入れない。重い大きなガラスを持って右往左往するだけ。竹内独特のくだらない駄洒落が飛び交い、核心からどんどんずれていく。<br />
　誤読してみる。「見られることを拒絶するような白壁の塀」と「一枚の透明な大ガラス」とは竹内にとってのカルマ、目の上のたんこぶ、先行第一世代のことである。「見えないものは事実相当に重いのである」。<br />
　竹内や他の兄貴達が越えられそうで越えられない第一世代の壁を、透明な大ガラスで透かし見る。そうするとその中では憧れのスター（巨匠たち）がストリップまがいのバカなことをやってるらしい。三人の独身者たちが覗き見して語るこの光景は果たして幻なのだろうが、そのことを晒すのが芝居の面白さであり、想像をかき立てる行為自体を劇作というのだろう。<br />
　なんだよ憧れのスターはどこからも入れないガラス張りの大邸宅の中でバカな一人遊びをしてるのかよ。結局不可視の大ガラスは、小さなガラスの破片が当たったことによって割れてしまう。しかし、このラストのあたりまで来ると、もはやガラスが割れていようが、そのままだろうが、もう独身者たちにとってはどうでもよくなっている。<br />
　竹内が先行第一世代と別れを告げた気っぷのいい瞬間だった。<br />
<br />
　今年の７月、県内の高校生を対象にワークショップを行った際に「大鴉」をテキストに使ったところ、高校生男女問わず食いつきが良く、好評だった。‘８０年代大学演劇部のレパートリーは竹内作品で占められていたように、今でも若者達の心をとらえて離さないようだ。<br />
<br />
　「あの大鴉、さえも」は竹内銃一郎戯曲集＜２＞（而立書房）に収められている。<br />
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    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2006-12-24T10:26:25+09:00</dc:date>
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    <title>第三篇　別役実「マッチ売りの少女」（'６６年）</title>
    <description>舞台中央に古風なテーブル、三脚の椅子。やや上手に小さなサブテーブル、一脚の椅子がある。
これは、いわば古風な芝居である。従って古風に、いささかメランコリックに始まらなければならない。
場内の明かりが、いつの間にか暗くなる。どこからともなく、流行遅れの流行歌...</description>
<content:encoded><![CDATA[
舞台中央に古風なテーブル、三脚の椅子。やや上手に小さなサブテーブル、一脚の椅子がある。<br />
これは、いわば古風な芝居である。従って古風に、いささかメランコリックに始まらなければならない。<br />
場内の明かりが、いつの間にか暗くなる。どこからともなく、流行遅れの流行歌のような哀しい淋しいメロディーが、かすれかすれ、聞こえてくる。と、思いがけなく、すぐ耳の近くで、かわいた、低い女の声がささやくのである。それはどうやら、次のように聞こえる。<br />
<br />
　この後、アンデルセンの「マッチ売りの少女」の一節のモノローグがある。<br />
　極めて予兆をはらんだト書きである。特に時代遅れの流行歌がかすれかすれに聞こえてきて、思いがけずすぐ耳の近くで女の声がささやくというあたりが、何とも言えない。演出ならどうしようかと頭を悩ますト書きだ。<br />
　現在では流行歌というのも死語に近いが、それに追い打ちをかけるように時代遅れときた。私なら矢吹健の「あなたのブルース」を選曲する。ま、それはどうでもいい。どんな風な音楽なのかを指定する、あるいは曲目まで指定するというのは劇作家の秘かな抵抗である。特定の曲からの連想であったり、特定の曲へのオマージュだったりする以外、普通は曲のムードや曲目を指定しない。<br />
　私のように演出も手がける人間は書いている過程で使う曲が決まってくる場合が多々ある。劇作家オンリーの人で演出家を信じていない人は曲目を指定してくるだろう。別役実がそうだとは言えないが。早稲田小劇場当時、鈴木忠志の権力志向で劇団を追われた人だから演出家へのトラウマはあるかもしれない。これは私の想像。<br />
　５０人も入れば満席の小劇場で上演されるのを見越したような「思いがけなく、すぐ耳の近くで」聞こえてくる女のささやき。初演された早稲田小劇場は８０人くらいで満席だった。この戯曲は出来るだけ狭い劇場でやられるのが好ましい。黒字にしようなんて野望を持つ制作者ではこの戯曲はやれない。<br />
　<br />
　別役実は旧満州の出身である。広大な中国大陸の原風景が氏の乾いた笑いの不条理劇を生んだのではないかと、ある演劇評論家は書く。しかし、この「マッチ売りの少女」は暗く淀んでいる。何故そうなのかといえば、戦後責任の問題を扱っているからだと思う。それも国家の戦争責任ではなく、一市民社会（日本では市民社会という概念ではなく、一世間ということになるが）の戦争責任を追及している。<br />
　社会の片隅で静かに暮らす初老の夫婦のもとへ、ある日女とその弟と言われる訪問者が訪れる。そしてこの女は弟とともに夫婦の子どもであると告げる。ここまでに女が弟と言われる男にする仕打ちは尋常の度を越し、執拗な詰問に変化していく。全ては夫婦（市民社会）に自分たちの出自をあからさまにし、夫婦（市民社会）の罪を暴き、夫婦（市民社会）への罰を与えるための行為である。<br />
　戦後の幸福な時間が板子一枚めくれば多くの死者が眠るカタコンベに変貌する。６０年代後期に勃興したアンダーグラウンド演劇の芸術的バックボーンである。ほとんどのアングラ第一世代の演劇人が通過儀礼のように必ず通った門である。<br />
　そして、この戯曲は現在こそ再演されなければならない本だと思う。'０５年私は「砂の覚醒」というアラバールの戯曲を再構成した作品で「マッチ売りの少女」の一部を引用構成して上演したが、全編を上演してみたくなった。私がやってみたい戯曲第１位がこの「マッチ売りの少女」である。<br />
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　別役さんとお話しする機会が何度かあるが、実に飄々とした方である。「どんぐりと山猫」の山猫のような印象を持った。ワープロ類は一切使わず原稿用紙派だ。愛用の原稿用紙はＢ４判の紀伊国屋製だったと思う。そしてこの「マッチ売りの少女」あたりの時代、唐十郎と喫茶店でお互いの戯曲を読み合い批評し合ったという。唐十郎にも「ジョン・シルバー」という堕胎されたえい児たちが市民社会に襲来するという戯曲があるが、もしかしたらその時の喫茶店道場から産まれた戯曲かもしれない。<br />
<br />
　「マッチ売りの少女」新刊は現在では入手困難である。発行元の三一書房が倒産し、多くの在庫が眠っているらしい。「僕の本が売れないんだよねえ。」と別役さんが笑いながら言ってた。古本屋、図書館にはあると思う。<br />
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ゴビもお奨めです。
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    <dc:date>2006-12-17T11:16:15+09:00</dc:date>
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    <title>第二篇　サミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」（１９４９年第１稿）</title>
    <description>　『田舎道。一本の木。
　　夕暮れ。
　　エストラゴンが道端に座って、靴を片方、脱ごうとしている。
      　　ハアハア言いながら、夢中になって両手で引っ張る。力尽きてやめ、
　　肩で息をつきながら休み、そしてまた始める。同じことの繰り返し。
　  　ヴラジーミル、...</description>
<content:encoded><![CDATA[
　『田舎道。一本の木。<br />
　　夕暮れ。<br />
　　エストラゴンが道端に座って、靴を片方、脱ごうとしている。<br />
      　　ハアハア言いながら、夢中になって両手で引っ張る。力尽きてやめ、<br />
　　肩で息をつきながら休み、そしてまた始める。同じことの繰り返し。<br />
　  　ヴラジーミル、出て来る。』　（安堂信也　高橋康也　訳）<br />
　<br />
　サミュエル・ベケット。１９０６年〜１９８９年。フランスの小説家、劇作家。アイルランド生まれ。その小説は人間存在の深淵をあばき出し、ヌーボーロマンの先駆をなした。戯曲でも前衛劇を書いて、演劇の概念に革命的な変化をもたらした。１９６９年ノーベル文学賞受賞。小説「モロイ」「マローンは死ぬ」戯曲「ゴドーを待ちながら」「勝負の終わり」「しあわせな日々」など。( 「日本語大辞典」講談社より)<br />
　初めて「ゴドー」を読んだのは二十歳から二十二歳までの間だった。それも立ち読みだった。一番町の丸善入って右奥の演劇書コーナー。はっきり言って面白くなかった。確実にこの戯曲は年老いた者たちの戯曲だと思った。老人たちの最後の日々をつづった戯曲であると読んだ。<br />
　真っ当に読めば、『田舎道・一本の木・夕暮れ』。これらはすべて黄昏れていて、わびしく、孤独の影を帯びている。が、演出をするとなると、そして初見の時から３０年も経つと、解読は違うものになった。陽気な南米的世界を思い描くことにした。<br />
　エストラゴン（ゴゴ）とヴラジーミル（ディディ）がゴドーといわれる人物を待っている。ゴドーは彼らの思惑を裏切るようにいつまでたってもやってこない。やってくるのはポゾーとその召使いラッキーそして、ゴドーの使い走りのような少年だけでゴドーがどういう人物なのかは一切謎である。彼らはゴドーを待つインターバルをあらゆる遊びで紛らわそうとするが、それも既にネタは尽き、ルーティン作業のよう。死をもリアルに考えるようになる。ストーリーはこれだけである。起承転結というような物語の蓄積はない。あるのは広大な虚無の空間である。このようなスタイルで当時の演劇界に加えた一撃が現在まで続く現代演劇の方法論、理念的バックボーンになった。<br />
　世界中の多くの研究者がこの戯曲の謎を解いているが、多分どれも正解でどれも不正解なのだと思う。真相は作者のみ知る。いやいや本人にもわからないことがあり、ベケットはそれをも楽しんでいたのではないだろうか。ま、それも彼自身が演劇に対して厳密な事を要求し始める時期まで、ということだが。<br />
　悲観的で悲惨な世界である。人間に生まれた宿命は時間との戦いで、それも結果は決まっている。それは万人に訪れる「死」であり、「死」から逃げる手だてはない。「生」のスパイラルを彼ら二人は延々と昇り続ける。まさに出口無し、閉塞感の絶頂である。初演当時の世界は冷戦構造のさなかにあり、閉塞感は米ソの核開発競争から生まれた。人間は前の大戦での悲劇を乗り越えることが出来ないどころかそれより悪くなっているというのが背景にある。今現在の閉塞感は監視ネットワーク社会の形成に端を発しているように思う。この社会では個人という存在はマスゲームの駒になる。まさしく自分の運命がどうなるのかわからない、それは権力に握られている。そしていわゆる誰もが幸福な社会のためなら「私たち」と違う人々は排除するというロジックがまかり通るようになった。根源的に再生産を繰り返すしかない人間の生活が絶望的なら、それを縛る制度なりシステムは人間にもっと脅迫的に絶望と悲観を強いる。「ゴドー待ち」と書かれた時代は違うが構造と顕われは見事に似姿である。<br />
　そんな時代の空気の中で、どうせシステムの中で死ぬのなら、南米的無意味な快楽の世界も意味のあることなのかもしれないと思ってしまう。一回性の舞台と一回性の人生は同じだが、人生は長く、上演は短か過ぎる。しかし、南米的人種・ポゾーの人格の中に南米的蕩尽の有意義さと、強烈な太陽の影にある甘美な死への憧憬が詰め込まれている。<br />
　<br />
　２００４年に「ゴドー待ち」（ヨネザワギュウ事務所制作）の演出をした。まさかお鉢が回ってくるとは思っていなかったが、徒手空拳で世紀の大作に役者共々立ち向かった。当時、緒方拳と串田和美の「ゴドー待ち」が話題になっていたが、私たちの創ったものの方が作品的にも向かい方にしても上回っていたと思うのは手前味噌だろうか。<br />
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　「ゴドーを待ちながら」はベスト・オブ・ベケット全３巻の第１巻に所収。（白水社）<br />
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<img src="images/PC080009.jpg" width="200" height="150" alt="" class="pict" /><br />
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<img src="images/PC080006.jpg" width="200" height="150" alt="" class="pict" /><br />
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    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2006-12-10T00:27:58+09:00</dc:date>
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    <title>第一篇　唐十郎「唐版　風の又三郎」（１９７４年初版）</title>
    <description> 『死の花嫁を捜しにどこへ行く、オルフェ。死の魔窟は…死の耳はどこにある。分かっているよ。僕たちは分かっているんだ。そして、わざとこんな風な言いぶりで、何かを計っていることも。さあ、行こう、代々木のテイタンへ。死んだ恋の人を尋ねて。そして、もはや、ここ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
 『死の花嫁を捜しにどこへ行く、オルフェ。死の魔窟は…死の耳はどこにある。分かっているよ。僕たちは分かっているんだ。そして、わざとこんな風な言いぶりで、何かを計っていることも。さあ、行こう、代々木のテイタンへ。死んだ恋の人を尋ねて。そして、もはや、ここはテイタン。言わぬそばからテイタンなのだ。そのテイタンの奥に謎の小学校がある。青白いフヌケの生徒を前に教授が立って、こう言う。』<br />
<br />
　これがト書きなのだ。こんなト書きに出会って良かった。唐十郎は私の師匠である。師事はしなかったが唐十郎の劇作術、演出術、かぶく術すべてを学び、盗んだ。<br />
　唐十郎と「状況劇場」との出会いは１９７１年１２月に遡る。演目は「愛の乞食」。考えてみれば冬にテント興行だったわけだ。確かに雪が積もっていて寒かった。仙台西公園今はなき図書館前広場に紅の、といえばカッコいいが、そのテントは小汚く小さく萎びていた。木立の下で剃髪の痩せた男（多分、麿赤児）が白塗りのメイクをしていた。５０人ほど入るといっぱいのテントは熱気に満ちていて、途中発電機がトラブり照明も落ち、麿がマッチを擦って芝居を続けた。何もかもが衝撃的出会いだった。この芝居の最中アドリブで麿から話しかけられた客席最前列の女子高生が家人であるということを知ったのは、それからずーっと後のことである。この時高校の演劇部の顧問の伝手で唐十郎のサイン名刺をもらい、今でも家宝のように保存してある。<br />
　閑話休題。<br />
　このト書きは唐にしか分からない。というか当時の状況劇場の劇団員にしか分からないだろう。外部の演出家がこれを読んで演出プランを立てられるかと言えば、相当に難しい。というより出来るかこれを？とスフィンクスに謎をかけられているにも等しい。唐は意地悪い。唐がよく言う誤読をしなさいの典型的なト書きである。ここにはいわゆる戯曲の天・地・人が一切書かれていない。天は時代、地が場所、人はどんな人間か（男女、年齢、職業、性格等々）こんな基本的なことがまったく書かれていない。<br />
　つまりこれがアングラ演劇の真骨頂である。私はここから全てを導かれた。<br />
　このト書きは役者にとっての度胸論を語っている。処世訓と言い換えても良い。オルフェが役者である。今から起こる物語の中の出来事すべてを引き受けなさいと言うことだ。唐十郎一流の荒ぶる物語の海への航海宣言は、観客を代々木のテイタンという探偵事務所に強引に連れてくる。問答無用、悪夢への拉致である。誰にも何も言わせない地獄落ちの劇世界が始まる。<br />
　こんなト書きを書く人は誰もいない。<br />
「唐版　風の又三郎」初版は角川書店。現在は白水社から出ている。<br />
<br />
　ところでアングラ第一世代と言われる巨匠たち、寺山修司、鈴木忠志（現ＳＣＯＴ）、佐藤信（黒テント）、別役実諸氏とは間近にする機会がありお話しもしているが、師・唐十郎とだけは話しをする機会がない。一度、芝居のはねた楽屋テントに訪ね「少女仮面」上演の許可を得ようとし、ゆで卵のように上気した顔の唐師に会ったことがあるが、しどろもどろでその旨伝えるのがやっとだった。そういう意味では遠い巨匠である。<br />
<br />
　そして、以下は私の最新作で来週初日の「ザウエル」の一番最初のト書きである。<br />
 『ここはどこだろう？<br />
トンネルの中を風が吹いているような音がする。<br />
巨大な檻が見える。<br />
舞台下手寄りから天空へ伸び上がるモニュメント。<br />
機関車の通過音。汽笛数回。濛々たる煙。<br />
煙の中に八人の影。<br />
犬たち。<br />
彼らは各々様々な犬種を思わせる文様、色合いの衣装を付けているが、尻尾や耳の形、牙などはない。<br />
犬たちは至る所を嗅ぎ回っている。お互いの臭いも嗅ぎあい、親愛の情を現す犬がいたり、険悪な雰囲気になる犬がいたり、マーキングの小便をかける犬、地面を掘る犬などごっちゃごちゃ。<br />
鋭い笛の音がする。犬たち一斉にその音に反応し、動きが止まる。』<br />
極簡潔、説明を出来るだけ省いてもこれくらいのト書きになってしまう。いかに唐十郎のト書きが戯曲の制約を逸脱しているかが知れるだろう。<br />
<br />
<br />
<img src="images/PB290016.jpg" width="200" height="150" alt="" class="pict" /><br />
<br />
<br />

]]></content:encoded>
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    <dc:date>2006-12-02T22:55:24+09:00</dc:date>
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